解は水色

次節へ進む 前節へ戻る

§3 2002年8月17日 16:05

 ようやく山道は途切れ、開けた場所に辿り着いた。その瞬間、我々の眼前に目的のペンションが現れた。見たところ、鉄骨造りの2階建てだが、なかなか洒落た外装で雰囲気もいい。それにしても、とてつもなく不便な場所にあるものだ。
 ミカがトムに訊いた。
「へえ、可愛いペンションだね。ここに来るのに他に道は無いの?」
「ご覧になれば判るとおり、全く無いんですよ」
「すごく不便ね。こんなところにわざわざ来る観光客がいるのかな」
「だから、さっきも言ったとおり、道楽で経営しているんですよ」
 そう言いながら、トムは玄関のチャイムを押した。頭上には「佐津尽ペンション」と書かれた木目調の看板が掛かっている。「佐津尽ペンション」…殺人ペンション?? 待ち構えていたかのようにすぐに扉が開き、経営者と思しき中年の男が現れた。第1印象としては、体格も顔の容貌も整った美男子だな、という所。後で食事の際に聞いた話では49歳ということだが、とてもそうは見えず、30歳台後半でも十分に通用しそうだ。穏やかな微笑をたたえたその男が、丁寧な挨拶を始めた。
「皆様、本日はかように辺鄙な場所のペンションにようこそいらっしゃいました。私は当ペンションのオーナーの佐津尽汎と申します。なにぶん田舎なもので何もありませんが、心ばかりの料理をお楽しみ頂ければ、と思います。では、どうぞ。やあ、喬、今日はご苦労様」
本名で話しかけられたトムは、何故か少し慌てた様子で、オーナーへ向けてではなく、我々に向かって言葉を継いだ。
「オーナーの料理は絶品ですよ。画家なんかやっているのが勿体ない位」
「おいおい、画家『なんか』はないだろう。ともかく、私にとってペンション経営は道楽なんですよ。では、まずはお部屋に案内します。その後、食事の支度に入りますが、食事ができるのは午後の6時頃になるかと思いますので、それまで、お部屋でくつろがれるなり、こちらの遊技場で──と言っても卓球台くらいしかありませんが──遊ばれるなりして、お時間を潰してください。あ、それから、申し訳ないのですが、只今2階の客室のエアコンの室外機が故障中で、冷房は使えませんのでご了承ください」
それを聞いて、トムが不平を述べた。
「そういうことは、さっき電話したときに予め言っておいてもらわないと」
「ごめんなさい。うっかりしてました。とは言え、高原のことですので、窓が開いていれば十分に涼しいですし、このような場所ですから、外部から不審な者が入り込むことはあり得ないでしょう。その代わりといっては何ですが、1階のエアコンは大丈夫ですので、宜しければ遊技場でおくつろぎください。遊技場は食堂を兼ねていますので、5時からの食事はこちらの遊技場でとって頂くことになります」
遊技場は玄関から入ってきた我々の右手にある。この時点では中に入っていないのだが、なかなか広い部屋のように見えた。私は次のように提案した。
「そうですか。それなら、皆が各自の部屋に荷物を置いたら、遊技場に集まろうか」
誰も異を唱えなかった。そこで、オーナーは続けた。
「まずはお部屋へどうぞ。皆さんのお部屋は2階になります」
 玄関から入った突き当たりに階段がある。我々はオーナーに先導され階段を上った。玄関は北に面しているので、初めは南に向きながら登るのだが、2階への中間地点の踊り場で階段は折り返し、それ以降は北向きに登ることになる。その後、1人ずつ部屋の鍵を渡された。ペンションの間取りが大まかに判る図をこちらに付記しておく。

 自分の部屋に入った瞬間,意外な高温に驚いた.南に面した窓からの陽射しの熱気がこもっていたのだ.荷物を床に置いた後,エアコンの故障の話を思い出して,窓を開けてみたところ,心地よい風が吹き込んできた.さすが高原.窓が開いていればエアコンなしでも過ごせるだろう.窓の外は小さなベランダになっていて,植木鉢が2つ置いてあるが,2つとも空である. 窓の直下はちょっとした中庭であるが,約5メートル先からは,もはや例の鬱蒼とした原生林が広がっている.次に部屋の中について.シングルベッドが南側の窓がない壁に頭を向けて寝るように置かれている.また,ティーセットが入った小さな棚が北側のドアの脇にあり,棚の上に14インチ程度の小さなテレビがある.部屋の真ん中には小さなテーブルの周りにチェアーが3脚ある.靴を履いて生活するのが前提の部屋である.後で聞いたことだが,他の客室も全く同じつくりで,同じような調度になっているそうである.
 部屋の掛け時計は午後4時25分を示している.時刻は正確のようだ.軽装に着替え,階下の遊戯室へ向かった.

次節へ進む 前節へ戻る

『解は水色』冒頭へ