金縛りのすすめ

*補足資料へのリンクはこのページの末尾にあります。

§1 はじめてのかなしばり

 幼児の頃、金縛りが怖かった。

 初めて体験したのは確か4歳の時、真夜中にふと目が覚めて、再び睡眠状態に入ろうとした瞬間、突如身体が全く動かなくなった。慌ててもがいている自分がいる一方、隣の居間の明かりが灯っていて、両親が何やらヒソヒソと会話をしている。もちろん現実には両親は就寝中なのだが、その時にはそんなことは判らない。何とかしてこの状態から脱出せねば。何度も無駄な努力を繰り返す。はっと目が覚めたと思ったら、相変わらず両親は隣室で起きていて、自分はそこに行きたいのに身体が動かない。。しかも壁一面に、存在するはずのない何枚もの表彰状が張ってある。そんなはずはない。再びもがき始める……この繰り返しを何回も行った後、目が覚めたと思ったら、静寂と闇。両親は寝ている。壁の表彰状もきれいさっぱり消えている。ここでようやく本当に覚醒したのだ。1時間にも思えた恐怖。でも実際には15分位しか経過していない。

 このような経験をした後、長年金縛りを恐れていた。得体の知れないものに対する恐怖と、永遠に覚めないのではという不安。就寝時に電気を点けたままにするなど、色々工夫したりもした。それでも時々金縛りは訪れる。恐ろしい。

 ところが、大人になってからのある日、ふとしたきっかけで金縛りがある意味で楽しいものになったのだ。詳しくは§3で。

§2 金縛りとは何か

 ここで、金縛りなる現象の正体を整理しておきたい。これは生理学的にきちんと解明されているものであり、断じて霊現象などではない(今でもそう思っている人は少ないだろうが)。

 睡眠には、大別して「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」の2種類がある。「ノンレム睡眠」は、簡単に言うと深い眠りで、大脳は完全に休んでいる状態。身体の方は寝返りを打ったりいびきをかいたりしているので、「脳を休めるための睡眠」と呼ぶことができるであろう。

 他方、「レム睡眠」は簡単に言うと浅い眠りで、大脳は覚醒時に近い状態だが、身体は完全に脱力しているので、「筋肉を休めるための睡眠」と呼べる。我々は眠りの中でノンレム睡眠とレム睡眠を周期的に繰り返しているのだ。

 入眠直後、深いノンレム睡眠に入ってしまえば金縛りは起きないが、何らかの原因ですぐに覚醒状態→レム睡眠と移行した場合は(この現象を「入眠時レム睡眠」という)、身体が脱力しているのに意識が覚醒時に近いという、いわゆる金縛り状態になる。このとき、周囲の部屋の風景が変質して見えるように感じることが多い。私の幼時の例では表彰状や隣室の声がそれに当たる。幽霊を見る人もいるようだ。実際には脱力のため目を閉じているので、幻覚を見ているに過ぎない。入眠直前の視覚の印象が強いので、周囲の風景が見えるように感じるのである。

 なお、金縛りを防ぐには、規則正しい生活がよいと言われている。逆に言うと、金縛りになりたい場合は、不規則な睡眠をするのが良いことになる。私の経験では、昼寝や、多少疲れた状態での就寝でなりやすいように思える。(極端な睡眠不足だと即ノンレム睡眠に入り、容易に目が覚めないので逆効果かも)また、部屋が真っ暗だと若干金縛りになりやすいようだ。

 通常、放置していても20分ほどで金縛りは解ける。ノンレム睡眠に入るか、目が覚めてしまうからである。金縛りは単なる睡眠現象なので、身体に悪影響が及ぶことはない。とはいうものの、身体に良いとも思えない。大脳が眠っていないので、睡眠独特の爽快感が無いからである。

 しかし、精神的には、極めて興味深いものだと思う。やり方によっては、現実では体験できないことができるからである。空を飛んだり、他人の家に不法侵入したりetc……詳しくは次の§以降で。

§3 自由への体外離脱

 20代になってからのある夜、金縛りを体験した。随分久しぶりだった。何故か10代の頃は滅多に金縛りにならなかった。しばらくは幼児の頃のように、身体を動かそうと努力していたのだが…

 ふとしたきっかけで、身体が動いた……ように感じた。しかし、感覚が全く違う。

 普段筋肉を動かすのと全く違うメカニズムで手足が動いている。現実の自分の身体は寝床に横たわっているのが微かに感じられる一方、もうひとつの自分の身体は確かに寝床から抜け出し、立ち上がり、自室(によく似た部屋)の中で意識の力だけで動いている。

 試しに部屋の窓を開けてみた。午前2時頃で外は真っ暗なはずなのに、世界はうっすらと青い光に満ち溢れている。何より光景が全く違う。私は周囲がほとんど2階建ての一軒家であるような住宅街に住んでいるのだが、隣には高層アパートがあり、自分の部屋も10階位の高さだった。

 このとき、私には全ての状況が飲み込めた。すなわち、見えているものは全てが幻覚であり、ここは夢の世界であること。現実の身体は現実の部屋で睡眠中なので、この世界で何をしても、現実の自分には全く影響を及ぼさないこと。限りなく自由であること。

 これこそが体外離脱と呼ばれる現象である。以後、現在に至るまで、私は金縛りになる度に体外離脱を試みている。金縛り→体外離脱とうまく移行するには、少々コツがいるようである。現実の身体を動かそうとすると余りうまくいかない。まずは幻覚の世界での手を動かすことから始めるとよい。最初は焦らず、少しずつ。試行錯誤しているうちに、自由に幻覚の身体を動かせるようになるはず。

§4 角を曲がればいつもと違う街並みが…

  体外離脱をした私が最初にとる行動は次の2つのいずれかである。

前者を選んだ場合、まずは(★)廊下の冷たさが裸足から伝わってくる。よく、「夢の中では頬を抓っても痛くない」との説を聞くが、これには注釈が必要。物質的な意味での痛みを感じないのは当然なのだが、「抓れば痛いものだ」という固定観念が刷り込まれているので、幻覚的または観念的な痛みを感じることは可能である。私の夢の世界では、痛覚以外にも触覚、温度感覚は健在である。熟練した人ならば、もっと多彩な感覚を味わうことも可能であると聞く。

 夢の世界では、どんなに痛くても絶対に怪我をすることがない。例えば、現実で階段を5段飛ばしで下りる場合、かなり身構える必要があるが、夢の世界ではふわっと落ちてくれる。

 さて、階下の両親が寝ているはずの部屋のドアを開けてみる。真夜中のはずなのに、開いた窓からは薄青い光が差し込んでいる。ところが、大抵の場合寝床はもぬけの殻である。後で詳しく述べるが、私の幻覚の世界では、なぜか他の人物が余り出現しないのだ。仕方なく引き返し、今度は玄関から外に出る。外気の冷たさが身にしみる。現実とよく似た住宅街。でも少し違っているのが判る。それが楽しい。しばらく右へ道なりに進むと、現実にも存在する突き当りの十字路。左に曲がってみると、やはり住宅街であるはずなのに、思いがけない光景。所々にまばらに樹木が生えている以外に何もない空き地の中を限りなくまっすぐな道が続いている。どこかで見たことがあるような気がする。(ここでの風景は金縛りの度ごとに異なるのが楽しい)おそらく、小学生の頃、ある地方都市に住んでいた頃のイメージだ。

 しばらく進んでも、何も変わらない。通行人を誰も見かけない。なぜか不安な気持ちになって引き返そうとすると、一本道のはずなのに、帰り道が解らない。目的もなく歩き続ける。でも決して退屈ではない。

 ふと気づくと、いつの間にか自室に戻っていて、布団の上で横になっている。目が覚めたのだな、と納得して、トイレへ行こうと部屋のドアを開けると、真夜中のはずなのに周囲には薄青い光が満ちていて(以下、★へ戻る)

§5 空だって飛べるけど、誰かに逢いたい

 前節で述べた通り、私の金縛り後の夢には他人が滅多に現れない。通常の夢(ここでは夢の中で夢であることを意識しないという意味)にはちゃんと複数の人物が登場するのに、何故だろう。自分にもよく判らない。たかが夢について、これ以上の分析は趣味に合わない。ここでは、前節とは少し異なったやり方で体外離脱を楽しむことにしよう。

 ところで、夢の中で夢であることを意識できる夢のことを“明晰夢”という。金縛り→体外離脱で得られる体験は紛れもなく明晰夢である。他方、通常の夢の中で、ふと「これは夢だ」と気づく場合も明晰夢であり、両者は同等なのだが、後者が実現する確率はかなり小さい。よって、夢の世界を自由に楽しむには、やはり金縛り経由が確実なのだ。

 体外離脱成功後、部屋の窓を開ける。するとここは高層アパートの10階。いつもと異なる風景に、「これは夢の世界だ」との確信を深める。そしてベランダのフェンスを楽々と越える。現実のフェンスは高さがあり、乗り越えるのにある程度力を要するのだが。次に、ロッククライマーのように階下の9階の窓に辿りつく。そこは名も知らぬ他人の部屋だが、構わず窓を開ける。決して鍵が掛かっていることはなく、狭い窓も確実に通り抜け可能。どのような間取りか、誰が住んでいるのか、期待を込めて部屋に踏み込むが、残念ながら、前述の通り、誰もいないことが圧倒的に多い。しかも更に残念なことに不法侵入の瞬間に夢から覚めることも少なくない。

 運良くこの時点で目が覚めなかったとすると、各部屋の扉を開けて人を探す。テレビがついていたり、キッチンで鍋の中身が沸騰していたり、生活臭はあるのだが人影がない。

 仕方なく進入した窓から身を乗り出すと、ここは高層アパートの20階。いつの間にか夜は明けている。 100メートル先には、コンクリート打ちっぱなしの10階建てマンションがある。何故か無性にそこに行きたくなる。

 しかし、ここからでは空を飛ばなければ辿り着けないのだ(と決め付ける)。夢の世界なのだから、全く危険はないのだが、いざとなると躊躇ってしまう。そこで勇気を振り絞って身を躍らせると、本来感じなくてよいはずの重力で思うように飛べない。人間は重力を恋しがる本能を持っているのだろうか。実際、宇宙飛行士になるには長年の厳しい訓練が必要らしい。それはともかく、意識の力で懸命に身体を浮かせ、不器用な飛び方でようやくマンションの壁に辿り着き、誰かが居そうな窓を探すのだ。

 この続きは次の§で。

 若干話は変わるが、夢の中から脱出する一つの方法として、高いところから(飛ぼうと努力せずに)自由落下を試みる方針がある。これは私が敬愛する作家の安部公房氏も自らのエッセイの中で書いていた。私自身、早く夢から覚めたいときはこの方法を使う。成功率は高い。でも、やはり飛び降りる瞬間は、安全だと判っていても勇気を要する。

 しかも、最近は飛ぶことに慣れてきたせいか、自由落下したつもりでも地面激突寸前にふわっと浮いて着地することも多くなってきた。こんなときは素直にあきらめて、夢の街の探索を続けるに限る。

§6 夢の中では何も言わずに君を抱きしめる〜エピローグ

 さて、コンクリート打ちっぱなしのマンションのある一室の窓を開けると、やはり殺風景な部屋で誰もいない……ことが多いのだが、その日は部屋のドアが開いて、一人の少女が入ってきた。年齢は中学生〜高校生位だろうか。名前は判らない。もしかしたらかなり昔に関わりがあった人物かもしれないが。

 私の場合、最近の知人が明晰夢に現れることはまずない。(通常の夢ならば頻繁にあるのだが…)

 少女と私は、沈黙の会話を交わす。お互い何も言葉を発しない、観念的な会話である。その結果、私は少女をその場で抱きしめなければならないという合意が自動的に生まれる(夢の世界特有のご都合主義)。そこでは、ほとんどの感覚がリアルに再現される。身体の温もり、ボタンを1つ1つ外すときの緊張感と昂ぶり、粘膜の手触り、そして膨張感覚と摩擦感覚。

 しかし、何故か私の場合はそこまでで終わってしまう。決して絶頂には至らないのだ。痛覚や単なる触覚などと違って、性的快感は幻覚化するのが困難な特殊なものなのかも知れない。(ところが、人によっては、夢の中のSEXは現実のSEXよりも気持ちいいと思えるらしい。詳しくは下の参考リンクを参照のこと) とは言え、たとえ最後までいかなくても、充分に楽しい。この特別な世界でしか通用しない安らぎ。文字通り夢のように儚い時間の中、ずっと身体を重ねていたい。

*             *             *

 しかし、いつかは現実の世界に引き戻される。夢の世界に居続けたい、と強く思うとき、既に終わりに近づいているのかもしれない。いつの間にか現実の自室の寝床に独り横たわり、立ち上がると本物の重力が両肩にずしりとのしかかる。限りなく続く1本道も、空を飛ぶ感覚も、少女の身体の温もりも、瞬く間に遠い世界の出来事になり、すぐにメモなどをしない限り、記憶から容易に消え去ってしまう。

 金縛り→体外離脱が終了した直後は、私の場合、決して気分爽快とは言えない。大脳が休んでいないからであろう。しかし充分な時間(現実の時間では20分以上か)の体外離脱を体験した後は、比較的スムーズにノンレム睡眠に入れて、ぐっすり眠れるような気がする。

 これは現実の世界でも通用する安らぎ。そして、本物の朝が来たら、現実の世界へ飛び出さねばならない。本当に飛べはしないけれども。

 明晰夢の世界とは、脆く儚く、自由で悲しみのない世界。機会があれば、いつでも金縛り→体外離脱をして、彼の世界へ行きたいと思っている。(最近生活が余りにも不規則すぎて、金縛りになりにくいのだが)

 現実の世界は、時に悲しい。されど定住可能な唯一の世界。
 楽しく嬉しいことも多い、と信じたい。

(本文終了)

補足資料 私の金縛り&明晰夢日記
注意:この補足資料は、管理人D SLENDERが金縛りor明晰夢(夢の中で夢と意識して行動できる)を体験する度に書き込みます。時には暴力的、性的な描写になる可能性もありますので、ご注意ください。もちろんあからさまに不愉快な表現は避けるように努めますが…

§参考リンク

「体外離脱」「明晰夢」といった用語や、金縛りから体外離脱への移行法、さらに様々な方々の金縛り体験に関し、次の有栖 光一さんのサイトを参照しました。この話題について、極めて豊富な情報が含まれているサイトです。
楽しい体外離脱

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