膨大な取材量と硬質かつ堅実な文章力が特徴。次代を担う本格ミステリ作家

殊能将之作品感想

『ハサミ男』『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』

『ハサミ男』 講談社文庫

 殊能将之(1964〜)のデビュー作。1999年、第13回メフィスト賞を受賞。

 主として無差別殺人者である「わたし」の1人称で進みます。「わたし」とは、過去に2人の少女を絞殺し、遺体の喉に鋏を突き刺すという異常な犯罪を犯し、メディアからは“ハサミ男”と呼ばれている人物。3人目の獲物となるべき少女の周辺を綿密に下調べし、いざ犯行に及ぼうとした矢先、自らの手口を真似た何者かによって少女が殺されているのを発見。「わたし」は、真犯人を探し出すために、独自の捜査に乗り出します。

 結構長い小説なのですが、先へ先へと読ませる力があります。何より、無差別殺人者である「わたし」の心理描写は、不気味であり、それでいてユーモラス。また、中盤以降、物語の随所で、“ハサミ男”を追いつめようとする警察の視点による章が挿入され、サスペンス的な効果を高めています。また、殊能作品全般に亘る特徴である、ところどころに散りばめられた薀蓄も楽しめます。

 そして何より、本作の特徴は大掛かりなトリック。実は、私はその種のトリックの存在を知りつつ初読したのですが、それでも十分に楽しめました。巧妙な伏線を味わう楽しさです。更に、詳述できませんが、事件が一応の解決をみた後の展開にも思わず感嘆しました(真犯人の絞込みが余りロジカルではないことに、個人的には若干の不満を覚えましたが)。

 Web等を見る限り、本作は、メフィスト賞歴代受賞作の中でも、絶賛する人が多い部類に属するようです。読んでみて、世評の高さに納得。前世紀末に生まれた本格ミステリの傑作と呼んで差し支えないでしょう。


『美濃牛』 講談社文庫

 殊能将之(1964〜)は『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞。それ以降、圧倒的な取材量と読みやすい文章を特徴とした本格ミステリの佳品を次々と世に送り出しています。

 『美濃牛』はデビュー2作目。とても分厚い作品で、なかなか事件が起こらないほど。この点で好みが分かれる作品かも知れませんが、私は途中で全くダレることなく読了できました。以下、その理由を述べてみます。多くのページ数が、登場人物の心情や状況についての1人称多視点での詳細説明に費やされています。その描写の所々にミステリ的な伏線が十分に散りばめられています。一方、結果的には事件の真相と無関係なエピソード(いわばミスディレクション)も含まれているのですが、これらは一寸した人間ドラマとして読み応えがあると感じました。詳細でありながらしつこくもない人物描写は私好み。この点は有栖川有栖の名作『双頭の悪魔』と共通しています(ちなみに山村を舞台にしている点も同じ)。

 とは言え、『双頭の悪魔』がガッチリとしたパズラーである一方、『美濃牛』 はそこまでロジック重視ではありません。そのかわり、圧倒的な取材量に裏付けられた華麗なる蘊蓄と、因習深い山村に口を開けた鍾乳洞を巡る神秘的な雰囲気があります。 事件そのものはキチンと解かれますが、2次的な謎の中には最後まで解決されずに残るものもあります。ですから、古典本格ミステリへのオマージュ的作品である一方で、21世紀以降の新たな本格ミステリはかくあるべき、と思わせる冒険心や遊び心をも秘めた佳作であると感じました。


『黒い仏』 講談社ノベルズ

 殊能将之氏のデビュー作『ハサミ男』や第2作『美濃牛』は、形式的には従来の本格ミステリの書式に則った作品でした(もちろん殊能氏ならではの新鮮な感性で書かれているのですが)。

 さて、第3作の『黒い仏』はどうでしょうか。指紋の無い部屋で発見された身元不明の死体、という謎の提示は魅力的。『美濃牛』に登場した石動戯作が本作でも探偵役を務めますが、彼と助手アントニオとのやり取りは愉快。と、中盤まではごく普通のミステリとして面白かったわけですが…

 中盤のある箇所から、物語は思い切ったどんでん返しを見せます。ノベルズの帯に付されていた「騒然。驚倒。ミステリ新世紀の幕開け」との煽り文句から、大仕掛けがあることは十分に予想可能でしたが、内容は予想を遥かに超えるものでした。この前代未聞の仕掛けはおそらく賛否両論でしょう。ふつうに考えると駄作と評価されてもおかしくはないと思われます。しかし、私にとっては十分に許容範囲でした。

 そもそも、本格ミステリは現実を忠実に再現する文学では無いと思います。例えば、現実の犯罪者が、小説のような凝った密室構築やアリバイ工作を行ったとしても、現在の警察の科学捜査の前では無力なような気がします。要するに、本格ミステリとは虚構の犯罪を題材とした謎解きを楽しむためにあるのです。だとすれば、『黒い仏』の舞台設定も、従来のミステリの枠内で評価し得るはず。

 とは言え、ミステリの初心者には余りお勧めできない作品であることは確かでしょう(ミステリが全部こういう作品だと思われては困ります)。色々なタイプのミステリに触れた経験のある上級者向けでしょうか。ところで、私が初めて読んだ殊能氏の作品はこれだったんですよね。書店で見かけて、余り分厚くなく読みやすそうなので買ったわけですが、運が良いのか悪いのか。


『鏡の中は日曜日』 講談社ノベルズ

 殊能将之氏の第4作『鏡の中は日曜日』は、“名探偵”石動戯作を主人公とするシリーズの第3作でもあります。前作『黒い仏』に空前絶後の仕掛けを持ち込んだ著者だけに、本作ではどんな凄いことになっているか、心配でした。おまけに、ノベルスの帯には“名探偵最後の事件”と銘打たれていれば尚更です。実際に読んでみたところ、その心配は全くの杞憂でした。一筋縄ではいかない企みが秘められているものの、それは既にミステリファンにはお馴染みの(今や古典的か?)仕掛けだったからです。

 小説は大きく3部に分かれています。第1部では、明らかに痴呆の症状を呈していると思われる或る人物による異様な手記。本格ミステリならではの幻惑的な謎を提示することに成功しています。もちろん、重要な伏線もいくつか散りばめられているので油断はなりません。なお、第一部の最後で、この人物は何と“石動戯作殺害”を実行してしまいます。

 読者はここで怯んではなりません。第2部では時間が過去に遡ります。14年前に奇妙な構造を持つ邸宅「梵貝荘」で起きた殺人事件の顛末が、登場人物の推理作家による“作中作”の形で記述されるのと平行して、その“作品”の結末に疑問を抱いた探偵、石動戯作による捜査が描かれます。“作中作”と“奇妙な屋敷”の組み合わせといえば、綾辻行人『迷路館の殺人』などに前例がありますが、実際、本作『鏡の中の日曜日』は「館」シリーズへのオマージュでもあるそうです。とは言え、個人的にはそんなことを意識せずに読みましたし、仮に「館」シリーズを知らなくても十分に楽しめます。なお、この第2部については、“作中作”の人物と石動戯作の視点が章ごとに切り替わるので、個人的にはほんの少し散漫な印象を抱いてしまいました。“作中作”の事件や解決のスケールが大きければそれでも良かったのかも知れませんが、残念ながらやや小粒感が否めないでしょうか。

 そんな気分で第3部を読みはじめたのですが、進むにつれて、些細な不満は吹っ飛んでしまいました。サプライズがいくつも用意されていますし、第1部や第2部の各所に散りばめられた伏線が最終解決に見事に収斂しています。加えて、読後感は極めて良好です。この後味は、殊能作品では特筆に価するのでは?

 大作とか代表作ではないように思いますが、ミステリファンとしては極めて安心できる完成度を誇る佳作です。