「他の作家」作品リスト(随時追加します)

 


真保裕一『奇跡の人』 新潮文庫

 交通事故で一度は脳死判定をされた主人公の相馬克己は、奇跡的に命を取り留めたが、事故以前の記憶を完全に失っていた。彼は失われた記憶を取り戻すべく、自分探しの旅を始めるのだが、そこで出会ったものは…

  真保裕一といえば、Webでの評価を見る限り、『奪取』や、映画化された『ホワイトアウト』などが代表作と見なされているようですが、私は現段階でこの『奇跡の人』しか読んでいません。賛否両論ある作品と聞いていますが、私は非常に面白く読めました。
 まず、前半のリハビリ中の主人公と彼を取り巻く人物の描写について。淡々とした場面なので、下手をすると単調になりそうに思えるのですが、真保裕一の特徴である端正で無駄の無い、それでいてメリハリのある文章力によって作品世界に引きずり込まれます。

 また、記憶喪失に関する医学的な考証がしっかりしている印象をうけました。本格ミステリで時折見かける、都合のいいときに突然記憶が戻るような場面は無く、その意味でかなり現実的です。私は個人的に本格ミステリには必ずしも現実性が無くても良いと思っているのですが、本作のような人物描写をメインとした非本格ミステリの場合は、やはり突拍子も無い設定は避けるべきで、この点でも本作には好感が持てます。

  中盤、主人公が自分の過去を探しに出かけて以降、小説の雰囲気は一変します。ネタバレになりかねないので詳しくストーリに言及するのは避けますが、一言で言うとストーカーの心理を描いた小説という味わいになります。この部分に否定的な感想をもつ人もおそらくいると思われますが、私はこの中盤こそ小説の白眉だと思っています。救いようのないストーカー心理をこれほどの迫力で描いた小説作品は極めて希少なのではないでしょうか。登場人物の痛いほどの葛藤が読み手に鋭く突き刺さってきます。この迫力は凄い。

 なお、最後の最後にちょっとしたどんでん返しがありますが、個人的にはこの部分はもっと救いの無い終わり方でもよかったのではないか、とも思いました。もちろんこれは単なる個人的な感想であり、逆にラストで救われた人が居てもおかしくはないと思います。仮にこの部分で評価を差し引いたとしても、非本格の現代的ミステリの傑作の1つに数えられるのではないでしょうか。


竹本健治『匣の中の失楽』 (双葉文庫)

 題名は『ハコのなかのしつらく』と読みます。竹本健治(1954〜)が22歳のときに雑誌『幻影城』に発表した作品。

 この文章は読了した翌日に書いているのですが、実は今、結構混乱しています。なぜなら長い小説のため、前に読んだ部分を忘れてしまっている(これは読者である私の問題)ことに加え、ミステリ的に様々なアイデアが詰め込まれているため、一読しただけでは全貌が掴みにくいからです。もしかしたらこれが作者の狙いなのかも知れませんね。

 事件はミステリ好きの若者達のグループの中で起きます。早速1章で事件らしきものが起こるのですが、次の2章では何とそれまでの記述が作中小説の一部ということになってしまいます。2章でも事件らしきものが起こるのですが、3章の冒頭でやはりそれが作中の小説内の出来事にされてしまい……以下詳述は避けますが、このように本作は虚実を混乱させるような非常に凝った構造になっています。この辺りを楽しめるかどうかがポイントでしょう。あと、途中でたびたび挿入される登場人物の衒学的な発言についていけるかどうか。

 ともかく、極めて装飾の多い作品です。作品内で解決が明示されていない部分もあります。『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎)『ドグラ・マグラ』(夢野久作)『虚無への供物』(中井英夫)と共に、日本ミステリ4大奇書と呼ばれるだけあって、一筋縄ではいかないと思います。心して。


近藤史恵『ガーデン』 (創元推理文庫)

 近藤史恵の長編第三作。探偵・今泉文吾と助手。山本公彦が登場するシリーズものです。

 何といってもこの小説の最大の魅力は、特異な個性をもつ「火夜」という名の女性。このキャラクタに触れるだけでも本作を手に取る価値があるというものです。火夜、そして彼女と不思議な絆で結ばれた女子学生・真波、および誠実な探偵・今泉文吾など、章ごとに視点を変化させる手法を採っています。この手法により、物語に緊迫感とスピード感、及び一つのエピソードを様々な角度から眺めることによる立体感が生まれ、読者は物語に引き込まれます。私自身、中盤までは文句なしに面白く読めました。

 ただ、本格ミステリとしての大カタルシスを期待していてしまうと、伏線が不足気味なので、謎解き部分は物足りなく感じられるかも(私がそうでした)。恋愛小説として読むと結構面白いのかもしれません。


恩田陸『象と耳鳴り』(光文社文庫)

 恩田陸はミステリ専門の作家ではなく、ホラーも含めた広い意味でのエンターテイメント小説の人、という印象があります。簡潔かつ個性的な心理描写で大衆人気が高いようです。『六番目の小夜子』などの作品が特に有名です。

 本作品集『象と耳鳴り』は、「本格ミステリの短編集を作ろうという」明確な意志で編まれた作品集です。実際、ご本人が文庫版あとがきで明言なさっています。確かに集中の「新・D坂の殺人事件」のタイトルなどは明らかに“狙って”います。では、収録作品が正真正銘の本格と言えるのでしょうか?

 仮に「謎が提示され論理的に解決される」ことを本格の定義(古典的な定義ですが)とするならば、明らかに外れている作品が多数あります。解決されない謎を残したり、幾通りもの解決を提示しながら最終的結論を出していなかったり、およそ論理的とは呼べない唐突な解決があったりするわけです。ですから、古典的本格風味を期待すると肩すかしを食らいます。

 ところが、作家の恩田さんご自身のミステリ観は少し(というかかなり)私と異なるようです。文庫版あとがきから少々引用してみます。

私は、本格ミステリと言うのは説得と納得の小説だと思っている。こじつけだ、詭弁だ、よくみると論理的でないと言われようとも、小説を読んだ時に読者がその中で「納得」し、「説得」されれば、その本格ミステリは成功しているのだ。

論理を余り重視していないところが注目に値します。古典的定義とはかなり異なるわけですが、ひょっとしたら大衆の多くはガチガチのロジックで固めた作品よりも、登場人物の心理描写等で納得させてくれる作品の方を好むのかもしれません。だとすれば「現代的な」ミステリとしては十分に成功の部類に属するでしょう。

 私個人は恩田さんの文体は嫌いな方ではありませんが、純粋にミステリとして評価するならば、既述の理由により、かなり割り引かざるを得ないところです。とは言え、短編小説としての完成度は実に素晴らしいものであり、一気に読了することができました。集中でのお気に入りは、純粋にwhydunitに徹した「ニューメキシコの月」と、伏線が比較的しっかり描かれている「待合室の冒険」です。


加納朋子『ささら さや』(幻冬舎文庫)

 加納朋子さんは、1992年、連作短編『ななつのこ』(創元推理文庫)でデビュー。いわゆる“日常の謎”を題材とする作品を多く書いています。

 本作『ささら さや』も、連作短編形式の長編。派手な事件が起こるわけではないので、やはり“日常の謎”作品に分類できるでしょう。とはいえ、本作の“探偵役”は幽霊なので、いわゆる“ゴースト系”(なんて分類があるのかどうか知りませんが)に属するともいえましょう。実際、加納さんは映画『ゴースト』を意識して書いていらっしゃるようです。

 交通事故で新婚の夫を喪った若妻・サヤを主人公とする話。サヤは、生まれたばかりの息子・ユウスケを連れて地方都市「佐々良」に引っ越しますが、そこで様々な事件に巻き込まれます。控えめでお人好しで頼りないサヤのことが気がかりで成仏できずに居る夫が、自分の姿を見ることができる人物にとり憑いて、サヤの前に姿を現し、事件を解決していきます。

 “ゴースト系”のミステリとして他に名前が思い浮かぶのは有栖川有栖『幽霊刑事』があります。共通点はあるものの、両者の読後感はかなり異なると思いました。『幽霊刑事』は基本的には謎解きミステリであり、一貫してゴーストになった男性の視点から描かれますが、『ささら さや』はほぼ全編に亘って遺された女性の視点で描かれ、謎解きよりも人物描写を主眼としています。

 実際、サヤを取り巻く人物たちは、皆とても魅力的に描かれています。たとえば主人公を何かと手助けしてくれる老女3人組は、皆素敵にユーモラス。その一方で、幼い子供を抱えたシングルマザーの苦労が痛いほどに伝わってきます。男の私でさえそうなのですから、子供を持つ母親の方々にとっては、共感できる場面が多いのではないでしょうか。この種の作品に対しては「謎解きが弱い」とか「人物の設定が現実離れしている」などの文句をつけてはいけないような気がします。ほのぼのとした、それでいて少し切ない気分にさせてくれる物語として読むのが良いと思います。

 なお、作中で個人的に気に入った話は「ダイヤモンドキッズ」です。


歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文藝春秋)

 歌野晶午さん(1961〜)は、1988年、いわゆる“新本格ブーム”のさなかに『長い家の殺人』(講談社文庫)でデビュー。その後、寡作気味になり印象が薄れた時期もあるのですが、近年は意欲的な作品を次々と発表し、好評を得ているようです。私は今年(2004年)になるまで歌野氏の作品を一度も読んだことがなかったのですが、これほど評判になっているなら一冊は読んでおこう、と思って手に取ったのが、本作『葉桜の季節に君を想うということ』です。2003年度のミステリ系の各種ランキングで1位を独占した作品です。

 文藝春秋の“本格ミステリ・マスターズ”の一冊として刊行されましたが、定義によっては“本格ミステリ”とは呼べない可能性もあります。古典的な狭義の“本格ミステリ”とは、序盤または中盤で謎が提示されてラストでロジカルに解かれるものです。ところが、本作を構成する謎の一部は終盤になるまで読者に明示されませんし、ロジカルでない解決も含まれます。ただし、その分だけ終盤での“反転”が読者に与える効果は大きく、これによって本作は各種ランキングの1位を獲得したと断じても過言ではないでしょう。

 終盤での“反転”を物語の中心に据えたミステリを、私は個人的に“サプライズ系ミステリ”と呼んでいます。既読の有名作品では貫井徳郎『慟哭』などが該当するでしょう。そして、“サプライズ系”として『葉桜〜』は完成度が高い方だと感じました。

 自称“何でもやってやろう屋”の主人公・成瀬将虎のハードボイルド的活躍は痛快で、描かれたエピソードの一つ一つが物語として単純に面白いのです(逆に言うと、主人公に感情移入できなければ本作は辛いかも)。また、主人公の20歳の頃の事件には“不可能犯罪”としての興味もあります。

 実は、私は本作のメイントリックを事前に知った状態で初読しました。各読書感想サイトの感想文を読んでいるうちに察しがついてしまったのです。それでも、普通のサスペンス小説として、一種の恋愛小説として、十分に面白く読めました。本格ミステリとして好みのタイプではないという理由で多少減点していますが、パンチ力十分の快作であることは確かでしょう。読後感の良さも魅力です。