岡嶋二人作品リスト(随時追加します)

『クラインの壺』『そして扉が閉ざされた』<|『99%の誘拐』


『クラインの壺』 (新潮文庫)

 岡嶋二人は井上泉氏と徳山諄一氏の共同筆名。1982年に『焦茶色のパステル』で江戸川乱歩章を受賞してから、本作『クラインの壺』を発表する1989年までの間、推理文壇で人気を博していたようです。作風としては、本作のようなSF風ミステリや『99%の誘拐』等の誘拐モノが多かったようですが、『そして扉が閉ざされた』のような真正面からの本格作品もあります。

 『クラインの壺』は事実上、岡嶋二人の最後の作品。実質的には井上氏ひとりによる執筆だったとのこと。井上氏は、後に「井上夢人」として再デビューし、SF風、ホラー風のミステリを次々と生み出すことになります。ゆえに、本作を事実上の井上夢人デビュー作だとする見方もあるようです。

 一言で言うと、すごく精密なヴァーチャル・リアリティ(以下VRと略記)システムをテーマにしたSFホラー風ミステリです。個人的に、このジャンルの作品は凄く気に入るかつまらないかどちらか、ということが多いのです。設定されたSF的状況に共感・納得できるか否かが分かれ目。残念ながら、私は本作に否定的な感想を抱いてしまったのです。なぜなら、作中のVRに全くリアリティが感じられなかったから。将来的にいくら技術が進化してもこれはないだろ、という感じで、全然怖くなく、感情移入もできなかったのです。これなら、森博嗣『有限と微小のパン』に登場するVRの方がずっと良かったかな。

 珍しく一方的に否定的な感想を書いてしまいました。つまらないと思うなら何故感想をUPするのか、というお叱りの声も聞こえてきそうですが、それは本作のWebでの評価が非常に高いと感じるからです。つまり、SF風ホラーが好きな人にはたまらない魅力を秘めた作品なのだろうな、と推測するからなのです。


『そして扉が閉ざされた』(講談社文庫)

 岡嶋二人の作品群の中で『クラインの壺』、『99%の誘拐』、『そして扉が閉ざされた』を後期三部作と呼ぶことがあるようです。それぞれが相異なる個性を持っていて、しかもそれぞれの分野で傑作の評価を受けているようです。

 本作『そして扉が閉ざされた』はいかなる性格を持った作品か? この問いに対する答えとしては、文庫での島田荘司氏の解説中の次の文章が最も適切であろうと思います。

岡嶋二人の一人、井上泉氏は、僕にこう語ったことがある。
「『そして扉が閉ざされた』は、唯一徹底した『本格』を書いてやろうという決意の元に書いたものなんだ」

 まさにその言葉に相応しい、直球ど真ん中の謎解き本格になっています。

 本編は、男女2人ずつ、計4人が核シェルターの中に監禁された場面から始まります。これは、事故死したとされる富豪の令嬢・三田咲子の母親が、娘の死因に疑惑を抱き、娘と交流があった4人を監禁して監視することにより真相を炙り出そうとする試みなのです。そして、物語は最初から最後までシェルターの中で展開されるのです。時折挿入される回想シーンにより、咲子の死の前後の状況がデータとして提示され、それを元にシェルターの中の4人は推理を始めるのです。果たして咲子の死は自殺なのか殺人なのか、殺人だとしたら、4人の中に犯人が居るのか、それとも…

 限定的な状況を設定したことが、とてもスリリングな効果を生み出しています。特に、中盤から終盤にかけて提示される様々な推理によって解決が二転三転する様は、本格ミステリの醍醐味のひとつ。しかも、事件が鮮やかな解決を見たあとは、伏線の提示のされ方も見事だったことを思い知らされます。

 難点(あくまでも個人的な感想ですよ)を挙げるとすれば、登場人物の描写がやや弱く、魅力に欠けることでしょうか。文章そのものはとても読みやすいため、却って各人物についてのデータが頭に入り難いように感じるのです。

 ともかく、純粋に本格ミステリとして見た場合、間違いなく“傑作”です。本作が存在するというだけで、“本格”ファンの間で「岡嶋二人」は永遠に語り継がれるのではないでしょうか。


『99%の誘拐』(講談社文庫)

 1988年に初版された作品。『クラインの壷』『そして扉が閉ざされた』と共に、岡嶋二人の“後期三部作”のひとつ。

 以前は徳間文庫から出版されていて、一旦絶版になったようですが、2004年に講談社文庫から再販。まずは、西澤保彦氏による文庫解説の中から、少々引用します。この作品の特質を見事に指摘していると思われるからです。

「こんなこと、物理的にあり得ない」とか「デバッグなしの一発勝負でプログラムが完全作動するわけがない」などの指摘は親本刊行当時からわたしもよく耳にした。しかしここで断言しておくが、仮に一歩譲って、それらが的を射ているとしても、寸毫も本作の瑕疵にはならないのである。営利誘拐などの重大犯罪をテーマにして小説を書く場合、万にひとつも不心得な模倣犯が現れぬよう、わざと犯行過程に実行不可能な手順を紛れ込ませておくのは、いわばミステリ作家としての良識だからだ。

  (・∀・)つ〃∩ヘェー、作家は、ワザとリアリティを薄めるものなんですね。現実の誘拐は、犯人の側から見れば成功率が限りなく低い犯罪であることは有名です。

 作中、誘拐事件が2つ起きますが、後の方の誘拐は、最初から犯人の名前が明示され、恐ろしく巧緻な誘拐計画が克明に描かれていきます。本作の犯人が誘拐ならではの様々な“困難”を乗り越えて「完全犯罪の誘拐」を成し遂げようとする姿には、ある種の凛々しささえ感じられます。

 いわゆる倒叙推理小説ならではのスリルを味わうことも出来ますが、読後感については一般の倒叙作品のそれとは少し異なるような気がしました(詳しくは書きませんが)。ある意味、冒険小説であり、SFとしての側面も持ち(しかも『クラインの壷』に比べればかなり現実感がある)、加えて、ハウダニットの本格ミステリとしても秀逸です。純粋な意味での謎解き小説では無いにせよ、謎に対しては作中できちんと伏線を張ってくれています。小説構成の面白さや読みやすさと言う点では、後期三部作の中で随一ではないかと感じました。