古典本格ミステリの部屋

このページでは、私がミステリを読むきっかけとなった、1920〜40年代にかけての本格ミステリの感想を書いてまいります。ここに挙げる以外にも、もっとたくさん読んでいるはず。ですから、採り上げた作品は例外なく私にとって面白い作品ばかりなのです。

  • バークリー『毒入りチョコレート事件』
  • カー『火刑法廷』
  • ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』
  • 大阪圭吉『とむらい機関車』『銀座幽霊』
  • 横溝正史『本陣殺人事件』
  • ブランド『ジェゼベルの死』
  • ブランド『はなれわざ』
  • J.P.ホーガン『星を継ぐもの』
  • 江戸川乱歩(編)『世界短編傑作集』

  • バークリー『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)

     ロンドンのクラブに送られてきた新製品のチョコレートにより、ベンディックス卿夫人が死亡し夫は命を取りとめた。チョコレート製造会社はその製品を作っていないという。卿夫妻を殺害して利益を得るものもいないように思われる。真相は?

     アントニー・バークリー(米・1893〜1971)の代表作の1つ。1929年の作品です。本作では、事件そのものの提示は序盤で簡潔に済まされ、中盤以降、「犯罪研究会」に属する6人のメンバーが、六者六様の推理を披瀝するという構成が見所になります。1930年代に書かれた紛れもない古典でありながら、現代的なメタ・ミステリにも通じる斬新さです。このような構成の場合、もちろん最後に登場する推理が正解に決まっているので、下手をすると中だるみの危険があるのですが、この作品では決してそうはなっていない所が凄いのです。成功の最大の理由は、6通りの推理が全てそれなりの面白さを秘めていることだと思います。尤も、最初の2つ位まではミステリ的には稚拙なのですが、それでも読み飽きないのは、研究会の6人のメンバーが個性的かつユーモラスに書き分けられているからでしょう。加えて、海外翻訳もの特有の読みにくさを一切感じさせないところは特筆に値します。きっと、原文もかなり読みやすいのでしょう。ミステリ的な魅力と共に、良質のエンターテイメント性も兼ね備えたこの小説。恐らくは、全文学作品中の私的再読回数No.1だと思います。

     本作に1つだけあえて難癖をつけるとすれば、真相に到るための手掛かりが読者に完全に提示されていないことが挙げられます。これは仕方のないことなのかもしれませんね。さもなくば六者六様の推理の存在意義がなくなってしまいます。それに、本作のもう1つの魅力は、本格ミステリでありながらも旧来のミステリを皮肉るような記述の痛快さにもあるのですから。

     そんな些細な不満(とも言えないのですが)を吹き飛ばすかのように、終盤で明かされる意外な真相と、余韻のあるラスト一頁が読者を待っています。本格黄金期に優れた文筆家の手によって生み出された名作中の名作と言えるでしょう。


    カー『火刑法廷』 (ハヤカワ文庫)

    「火刑法廷というのは、17世紀ルイ王朝のあいだ、とくに妖術や毒殺などといった異例に属する裁判を審理し、火刑を宣告した法廷のことで、部屋中に黒い布が張り巡らされ、昼間でも松明の光に照らされた、陰惨極まる場所だった。そこの拷問の恐ろしさときたら格別で、(略)さては、水槽いっぱいの水を漏斗で口に注ぎ込んだりするといったような、狡知をきわめた、じつにむごたらしい方法もしばしば用いられた」(渋澤龍彦『毒薬の手帳』)

     冒頭は、本作『火刑法廷』の文庫解説にも引用されていて、タイトルの意味を知るには絶好の文です。というのは、17世紀の毒殺魔であるブランヴィリエ公爵夫人と、主人公の妻マリー・スティーブンスが瓜二つなほどに似ていた、というエピソードから小説が始まるからです。以降の物語は、現代で起きた毒殺事件、さらにその死体が密室から消失した事件の謎と、前述の17世紀の公爵夫人のエピソードや、70年前に毒殺で処刑された女性のエピソードが絡み合って進んでいく。比較的読みやすい文章に加え、密室や犯人当てへの興味も十分で、これだけでも良質な本格ミステリなのですが、最後の最後に読者を待ち受ける驚愕の結末…

     “密室の鬼”と呼ばれた本格黄金期の雄であるディクスン・カー(カーター・ディクスン)は、技巧的な本格ミステリに加え、歴史ミステリ、怪奇ミステリと呼べる作品を多数生み出しました。1937年に発表された本作は、カーの様々な長所が見事に結実した代表作で、followerが後を絶たない名作です。

     初めて読んだときは、いやあ、本当に驚きました。


    ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』( 創元推理文庫 )

     ヴァン・ダイン(1887-1939・米国)は、1920年代〜30年代にかけて活躍したミステリ作家で、後のクイーンやカーをはじめとする本格ミステリの大御所たちに多大な影響を与えた人です。元々W.H.ライトなる別名で文芸評論家をしていたのですが、1926年に探偵ファイロ・ヴァンスを主人公とする長編ミステリ『ベンスン殺人事件』を出版。その後、12作のヴァンス・シリーズを書きました。その12作品の中でとりわけ傑作の誉れが高いのはシリーズ第3作の『グリーン家殺人事件』と、第4作『僧正殺人事件』です。私はどちらも既読ですが、今回『僧正』を先に紹介する理由は、(個人的なことですが)私が初めて読んだ大人向けの長編ミステリ小説がこれだったからです。なお、子供の頃にポプラ社の子供向け乱歩作品を多数読んでいたのはあえて除外します。

     内容はNYを舞台にした連続殺人もの。事件の都度「僧正」と名乗る人物の犯行声明がメディアに送られ、マザー・グースの詩の内容に擬せられた殺人であることが宣言されます。いわゆる「見立て殺人」と呼ばれるミステリの技法の先駆けで、後のクリスティもマザー・グースをテーマに見立て殺人の作品を書いていますし、日本でも横溝や綾辻などに著名な作品があります。この点でも構成への影響が少なからぬ作品であることが判ります。

     ところで、ヴァン・ダインと言えば、20則(詳細はこちらのサイトを参照)でも有名なのですが、果たして本作がこの20則を遵守して書かれているかというと、甚だ疑問です。初っ端の条件『すべての手がかりは、明白に記述されていなくてはならない』ですら、満たしているか正直怪しいのです。だからと言って本作が本格ミステリとしてつまらないかといえば、さにあらず(もちろん肌に合わない人もいるでしょうが)。本作の魅力はパズラー的謎解き興味にあるのではなく、衒学の探偵ヴァンスの個性と、犯人との息詰まる心理的駆け引きのサスペンスにあると思うのです。犯人像の描かれ方も特筆ものです。


    大阪圭吉『とむらい機関車』『銀座幽霊』 (創元推理文庫)

     大阪圭吉(1912-1945)は、第2次世界大戦前の日本にあって、最も愛されたミステリ作家だと言われています。日本に戦争の影が立ちこめ始め、ミステリ(当時は探偵小説と呼ばれていたはず)が敵性文学として規制されるようななるまで、ひたすら本格ミステリにこだわり続けた希有なる存在でした。残念ながら戦地ルソン島で病没してしまうことになるのですが、おそらく大阪圭吉の名は日本ミステリ界に永遠に残り続けるでしょう。

     創元推理文庫によって編まれた2つの作品集はいずれも傑作多数です。まず、『とむらい機関車』の冒頭に収められた代表作の1つ「とむらい機関車」に注目したいと思います。この作品では、『毎週決まった曜日に特定の機関車が豚を轢き殺すのは何故か』という謎が提示され、丁寧な伏線の元、鮮やかに、かつドラマティックに謎は解かれます。蒸気機関車時代の鉄道を舞台にしているにもかかわらず、登場人物の言葉遣い以外には全く古さを感じません。実際、この作品で扱われた類の謎と解決は、戦後日本の様々な有名作品にも登場しています。ミステリファンならば、即座に作品名をいくつか指摘できるでしょう。後世に多大な影響を与え得る時代を超越した魅力を内包した作品といえるでしょう。

     「とむらい機関車」以外にも佳作は多数あります。その割に私の評価が8なのは、中盤の一部の作品は物理トリックにこだわりすぎて些か無味乾燥と感じられたからですが、これは単に好みの問題かも知れません。デビュー作の「デパートの絞刑吏」は、大胆な解決とミスディレクションが試みられた瑞々しい作品ですし、「石塀幽霊」は明確に記された伏線に基づく犯人当てに加えて更なる驚きが用意されています。最後に配された中編「坑鬼」における謎の不可解性と本格性は集中随一で、最高傑作に推す人も多い作品です。

     また、『銀座幽霊』収録作は、初期の物理トリック偏重傾向を脱し、よりロジックやミスディレクションを重視した作風に変化しています。その中でも、伏線とロジックが秀逸な「三狂人」は本格ミステリとしての大阪圭吉の代表作と私は呼びたいのですが、大胆なトリックと真相が実に鮮烈な「燈台鬼」や、ユーモア・ミステリとしても優れた「大百貨注文者」を推す人も多いでしょう。


    横溝正史『本陣殺人事件』(角川文庫)

     1948年に発表された「本陣殺人事件」は横溝正史(1902-1981)の第二次世界大戦後第一作でもあり、金田一耕助シリーズの第一作でもあります。岡山県の山あいの村の豪邸の離れ(密室状態)で、雪の降りしきる中、初夜を迎えた新婚夫婦が日本刀で切り刻まれた遺体で発見され、しかも死の前後には琴の音が鳴り響く、という事件を、やや吃音気味で人懐っこい名探偵・金田一耕助が鮮やかに解決していきます。

     一説によると、本作は日本に誕生した最初の本格長編推理小説なのだそうです。なぜかというと、戦前、既に江戸川乱歩が長編を書いていますが、それは純粋な本格ものではなく、怪奇小説や冒険小説としての色が強いから、なのだそうです。私自身の考えでは、乱歩の『孤島の鬼』などは余裕で本格だと思うので、その節には首肯しかねますが、それだけ本作を始めとする金田一ものが人々に愛されてきたということなのでしょう。

     恥ずかしながら、私は金田一ものを2003年4月になって初めて読みました。実は某アニメでメイントリックの概略を知ってしまっていた、というハンデを背負っていたので、極力、雰囲気や伏線を楽しもうという意気込みで読み始めました。読みやすさと雰囲気の美しさは抜群。極めて映像的。個人的な好みとしては、もう少し真相に繋がる手がかりや伏線が露になっている方が好きです。要は、トリックの大胆さ・意外さや明かされる犯行動機を楽しむことがメインなのでしょうね。

     私の好みからはやや外れるのですが、日本推理小説の金字塔と評されることには十分に納得。実際、多大な影響を受けたと思われる後世の作家や作品を多数指摘できます。こういう歴史的作品は、ミステリ読書歴が浅い時期に読むべきではなかったかと思うと、個人的に少し残念です。


    ブランド『ジェゼベルの死』(ハヤカワ文庫)

     クリスチアナ・ブランド(1907-1988)は現在のマレーシアに生まれた英国人のミステリ作家。1941年に『ハイヒールの死』でデビュー。クイーンやクリスティが築いた黄金期の後に活躍しましたが、女性で英国人、ということもあり、クリスティの後継者と言っても過言ではないでしょう。文章の運び方も少し似ているような気がします(翻訳でしか読んでいないので、原文だとまた違うのかもしれませんが)。事件現場の情景描写に若干読みづらい点があるように思えるのも共通で、満足度を1点引きました。とは言え、集中して一気に読めば克服可能だと思われます。読書に没頭できる時間が欲しい。

     文体のことはさておき、ミステリとしての内容は掛け値なしの満点です。帰還軍人のためのアトラクション劇の舞台上で、悪評高い女性“ジェゼベル”が衆人環視の下で殺害される。容疑者は皆、騎士として舞台に出演していたり、鍵の掛かった部屋の外に居たり、と不可能興味をそそる魅力的な謎。レッド・へリング(偽の容疑者集団)による終盤近くの目まぐるしい展開とどんでん返しの連続。そして、解決編に至り、読者は犯人へ到達する手がかりが十分に与えられていたことを知り、感心すると共に、大胆なトリックに驚愕するのです。見事。

     強いて難癖をつけるとすれば、本作は100%コテコテの本格ミステリであり、特に魅力的な人物も登場せず、人間ドラマやロマンスなどの要素も希薄です。純粋な謎解き小説が嫌いな人にはお勧めできないわけですが、そこがいいんですよね。ブランドがパズラー作家としての技巧を尽くして仕上げた“匠”の一品です。


    ブランド『はなれわざ』(ハヤカワ文庫)

     ブランド作品の一般的な特徴については、前項『ジェゼベルの死』で詳述してありますので、ここではごく簡単に。本作『はなれわざ』も『ジェゼベルの死』に勝るとも劣らない傑作。個人的には『はなれわざ』に軍配を上げます。

     コックリル警部を含む、イタリア離島ツアー客一行の一人である女性が、ホテルの部屋で殺害される。容疑者は、誰もが海岸or海上に居る。かように、不可能興味は十分。厚めの本であり、事件が起こるまで少し長いのですが、解決への伏線がさりげなく描かれているので、油断はできません。終盤、真犯人が判明するまでのどんでん返しも鮮やかですし、何より、明かされる事件の全貌とメイントリックは見事で、前述のような不可能状況を説明するにはこれしかない、と感じました。ネットでの評判を見ると、トリックの実現性を疑問とする意見もあるようですが、私はそうは思いません(その理由を説明し始めるとネタバレになるので止めます)。

     ただ、お世辞にも文体が読みやすいとは言えないのが玉に瑕。一気に読了すればさほど問題ないのですが、忙しい身で、一日に数十ページしか読めない、となると、情景描写が邪魔に感じられてしまうのです。良い読者では無いですね。

     とは言え、本格ミステリとしては極上の一品。本格好きならば、読まずに死ねるか、という感じです。


    J.P.ホーガン『星を継ぐもの』(創元SF文庫)

     1977年に刊行された、SF作家James Patrick Hoganの出世作。「古典」と呼ぶには新しすぎる気もしますが、後世に名を残す作品であることはまちがいないと予測できるので、このpageで扱います。

     本作は、基本的にはハードSF(純粋なSFのこと)として書かれています。純粋にSFとして読んでも面白いのみならず、れっきとした本格ミステリ(しかも超一級)であるという、奇蹟のような離れ業を成し遂げた作品です。

     ここは「ミステリ書評」なので、以下では、ミステリとしての凄さを列挙していきます。粗筋(もちろんネタバレ無し)は以下の通り。

    ───────粗筋ここから──────── 

    2028年、月面で宇宙服を身に着けた死体が発見された。調査の結果、この死体に関して次のことが判明する。

    こんな謎に対し、主人公の物理学者ヴィクター・ハントをはじめとする学者達が挑む。そして、最終的には、全ての謎を矛盾無く説明できる解決が現れる。

    ───────粗筋ここまで──────── 

     念のために付け加えますが、読者に与えられるデータに漏れはありません。伏線は周到に張られています。また、読者に対する“嘘”もありません。例えば、死体が持っていた手帳の記述から彼が用いていた言語が解読された、という記述があります。初読時の私は、「実は言語解読に誤りがあった」とか「手帳が捏造だった」といった●○トリック調のオチを予期していたのですが、全くそんなことはありませんでした(これを書いてもネタバレにはならないでしょう)。小細工の無い直球ど真ん中の解決に仰天。

     なお、翻訳海外ミステリにありがちな読みにくさは本書では余り感じませんでした(強いていえば都市や他天体の情景描写が少し退屈だったかも)。逆に、学者達による議論の場面などは実にスリリングかつ読みやすく感じました。

     事前にトリックを知ることなく本書を読めたことを、心から嬉しく思うのです。


    江戸川乱歩・編『世界短編傑作集1〜5』(創元推理文庫)

     日本のミステリ史における江戸川乱歩は、優れた実作者であったことは勿論ですが、、書評家として、そして海外ミステリの良き紹介者として、卓越した存在でした。本作品集は、ミステリというジャンルに対する乱歩の情熱を強く感じることができる作品集。

     1860年代〜第2次大戦後にかけての作品が集められています。特色としては、ポオやドイルなどの個別作品集が編まれている作家はあえて省き、一冊の短編集になることが少ないと思われる作家の作品が主に集められています。様々な作風の作品が収録されているので、中には好みに合わないものもあり、私的満足度はこのpageにしてはやや低めですが、それでも古典本格ミステリのファンなら必読でしょう。以下、各集の収録作品一覧と、簡潔な感想を書いていきます。

    世界短編傑作集1

     19世紀〜20世紀初頭の作品。ミステリ専門家ではないコリンズやチエホフの作品は、現代ミステリの常識に照らすと物足りないかも知れませんが、小説としての面白さは十分。とは言え、集中の私的一押しは、“脱獄密室ミステリ”の名作「十三号独房の問題」です。

    世界短編傑作集2

    近日感想を書きます。

    世界短編傑作集3

     1920年代後半の作品。この時期、長編ミステリではヴァン・ダインが優れた作品を次々と生み出していました。短編の世界でも後世に残る有名トリックを用いた作品がたくさん書かれ、本書にも収録されています。「キプロスの蜂」、「密室の行者」そして「二壜のソース」は私にとって“トリックは耳にしたことはあるが実作未読”の作品でした。このように有名トリックを小説の形で読める楽しさも捨てがたいですが、集中の私的一押しは「偶然の審判」です。トリック偏重ではなく、真相にたどりつくロジックが実に見事な作品。後年バークリーが「偶然の審判」をベースに書き上げた「毒入りチョコレート事件」が傑作になったのも頷ける出来です。

    世界短編傑作集4

    未読

    世界短編傑作集5

    近日感想を書きます。