北村薫作品感想

『空飛ぶ馬』『盤上の敵』『スキップ』


『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)

 北村薫(男性作家です)は1949年生まれ。高校の国語教師という経歴を経て、1989年にいわゆる“覆面作家”として連作短編集『空飛ぶ馬』でデビューしました。当時は正体を明かしていなかったため、作者を若い女性だと思いこんだ人が続出したと聞きます。他でもない『空飛ぶ馬』の内容のせいです。

 作品は、全て主人公である<<私>>の一人称で綴られます。<<私>>は19歳の女子大生で文学部に所属。そして探偵役の円紫師匠は落語家。ここで起こる事件の中には、殺人のような重大犯罪は1つもなく、全て“日常生活で観察された些細な謎”ばかりです。例えば集中の「砂糖合戦」では、“喫茶店で女の子のグループが紅茶に砂糖を入れ続けるのはなぜか”という謎が解かれます。

 一般に、ミステリの謎として殺人が多く取り上げられるのは、読者に「何としても謎を解きたい」という興味を喚起するためだと思われます。かつてのヴァン・ダインのように「ミステリに殺人は不可欠」とまで言い切る人さえ居ます。しかしながら、読者の興味を繋ぎ止められていれば、別に殺人事件は要らないと思うのですが、どうでしょう。本作品は、まさにそのことを証明した記念碑的作品集で、後に加納朋子や光原百合などの“日常ミステリ派(という言い方はないかもしれませんが)”の形成に多大な影響を与えました。

 ただ、ショッキングな事件がないので、作品中のキャラクタへの好感度などによって好みが分かれるのではないかと思います。実際、個人的に<<私>>や円紫師匠は余り感情移入できる人物ではありませんでした。嫌いではないですが。逆に、人物に好感が持てれば、作品への評価は一気に跳ね上がると思います。

 集中のお気に入りは「砂糖合戦」「赤頭巾」です。


『盤上の敵』 (講談社文庫)

 先に紹介した『空飛ぶ馬』が北村薫の“日常ミステリ”を代表する作品だとすれば、本作『盤上の敵』は本格ミステリとしての代表作と呼び得る力作長編です。

 ノベルズ版から収録された前書きに、作者自身が次のように書いています。

『盤上の敵』は、まず、私を楽しませてくれた<<ミステリのあるタイプ>>に対する御礼、お返しとして考えました。

 ミステリを読んだ経験をある程度積んでいればこれが何を意味するか容易に察することができます(前書きが無くても読んでいるうちに「あ、あのタイプだ」と判るとは思いますが)。そこで、色々と真相を想像しながら読み進めたのですが結果、最後は気持ち良く騙されました。技巧的な本格作品として秀逸です。

 また、登場人物の独白が交互に続く章構成により、非常にテンポ良く読み進められるのも好印象。『空飛ぶ馬』や『スキップ』などが苦手、という人には特におすすめできる小説です。

 さて、本作は以上のような特徴の他に、人間の残酷さを鋭く描いた小説であるという側面も見逃せません。しかもその残酷さはホラー小説のような“つくりもの”ではなく、いかにも日常の中に潜んでいそうなものなのです。この小説の一番の特徴はこれなのかも知れません。特に、中盤に配された「中指と唇」のエピソード(もちろん詳述しません)の描写力は鳥肌もので、印象に残りそうです。

 ミステリ作品で、ここまで人間の悪意を鋭く描いた作品はそう多くないのではないでしょうか。北村氏自身、前書きには次のようにも書いています。

慰めを得たり、安らかな心を得たいという方には、このお話は不向きです。

 だからこそ、本作は傑作になり得たと私は思っています。読むときは心して。


『スキップ』 (新潮文庫)

 北村薫氏は、確かにミステリ畑出身の作家ですが、今やジャンルに囚われない知名度と人気を得ていると思われます。1995年に発表された『スキップ』はまさにそのきっかけとなった作品であり、彼の代表作の一つと言っても過言ではないでしょう。

 プロローグの舞台は、昭和40年代初頭。主人公は女子高の2年生である一之瀬真理子。運動会と文化祭を楽しみにしていたが、文化祭のフォークダンスが雨で中止になり、仕方なく帰宅して眠り込んでしまい、目が覚めたら、何といきなり25年後の世界。夫と高校生の娘を持つ42歳の桜木真理子にスキップしてしまったのだ。どうしようもない悲嘆に打ちのめさとれながらも、真理子は「今」を生きていく決意をする。

 敢えてミステリ的な分類をするなら、主人公が時間を飛び越えるSFサイコミステリという感じでしょうか。しかし、SF的な面を論じる意味はありません。何しろ、主人公が元の世界に戻れる可能性は完全に閉ざされているのですから。

 では『スキップ』とはどんな小説なのか。端的に述べるならば「どうしようもない逆境に置かれた主人公の強い生き様に触れる小説」だと思うのです。とにかくこの主人公は凄い。身体は42歳で中身は高校2年生という絶望的な状況の中で、高校3年生に国語を教える職責を全うしようとする意思は並大抵ではありません。しかも、その授業の内容たるや斬新で、少なくとも生徒にはとても魅力的に映ることでしょう。元高校教師・北村薫氏の面目躍如。授業が描かれることによって、本作の名作度は一回りアップしたと思うのです。

 実は、私は初めてこの本を手に取った際、第1章で挫折して積読状態にしてしまいました。序盤では主人公の幼さと感性の古さのみが描かれ、少々わずらわしく感じたのでしょう。ところが、ある日ふと思い立って続きを読み始めてみると、中盤、主人公が学校に勤務し始める辺りから実にスリリングで面白く、ページを繰る手が止まらなくなったのです。このストーリーの躍動感は終盤まで持続します。ここまで進めば、いささか退屈だった序盤も、展開上欠かせない伏線になっていたことに気づきます。

昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしには今がある。

 少し切なくも、希望に満ちたラストシーンを読み終えたあと、改めて人物造形の巧さに感服すると同時に、これほど真摯に「今」に打ち込める主人公が、とても眩しく見えました。

 細かく見れば、伏線に不満が無いわけではありません。でも、そんな些事を吹き飛ばすほどの総合力を持った作品だと思います。ベストセラーになったのも納得の快作です。