東野圭吾作品感想

『名探偵の掟』仮面山荘殺人事件』『ある閉ざされた雪の山荘で』

『魔球』『悪意』『秘密』


『名探偵の掟』 (講談社文庫)

  当代を代表する人気作家である東野圭吾の作品の中で、本格色の強いものの1つです。名探偵天下一大五郎と大河原警部のコンビが、密室、アリバイ崩し、犯人当て(whodunit)、バラバラ殺人などの12の謎に挑む短編集、と書けば、ごくありがちに思えますが、実際にはそう生易しいものではなく、ミステリ史上余り類を見ない個性的な作品集になっています。

 まず目を引くのが、天下一と大河原のコンビが時折小説世界を離れて(いわゆる“メタミステリ”状態)、小説中のトリックや設定等に文句をつけたりすること。この部分のやりとりはきわめてユーモラスです。例えば、多数のミステリ作品に現れる密室トリックについては、「同じ手品を何回も見せられている気分」と皮肉った挙句、探偵天下一は「密室の謎解きなんて……ああやりたくない」と泣き出す始末。それでいて決して悪ふざけになっていないのは、各話にミステリファンにとっては意外な(かつそれなりに納得できる)結末がついているからでしょう。良質のユーモア・ミステリであることは確かです。

 また、もう1つ見逃せないことは、前述の小説世界を離れたやりとりの中で、作者東野氏が自らの本格ミステリ観を主張していることです。例えば犯人当て(whodunit)については次のように皮肉っています。

「小説中の手がかりだけでは、どう逆立ちしても真相を解明することなど不可能と言うのが、この種の小説の実態なのである。しかしじつはそれでもいいのだ。というのは、作品中の探偵のように論理的に犯人を当てようとする読者など皆無に等しいからである」

この部分は、読者に対する皮肉とも読めますが、私個人としては、読者が探偵のように推理する必要はないと思っているので、東野氏には全く共感できません。探偵が解決部分で僅かな手がかりから論理的(もちろんこれはミステリ世界だけに通用する論理性だが)に謎を解き、犯人を絞り込む過程を鑑賞するのが楽しいと思っているからです。この部分以外にも、作者のミステリ観には共感できない部分がいくつかありました。

 要するに、読者の本格ミステリに対する考え方によって、この作品への好き嫌いが左右されると思われます。私は個人的には嫌いな作品です。嫌いだけれども面白い。他人にも自信を持って薦められる。珍しい。

 東野圭吾の本格ミステリとしての代表作の1つと呼んで差し支えないでしょう。非本格作品(映画化された『秘密』など)については、また別の機会に論じたいと思っています。


『仮面山荘殺人事件』 (講談社文庫)

 先に述べた『名探偵の掟』の中に、実は『屋敷を孤立させる理由』という話がありますが、そこで東野氏は、多くのミステリに登場するいわゆる「吹雪の山荘」的な状況は現実的には犯人にとってデメリットが大きいのではないか、と論じています。孤立していればそれだけ容疑者が限定されるからです。私の個人的な考えは、確かにその通りだが、所詮フィクションなのだからそこら辺には突っ込まなくてもよいだろう、というものです。この部分についても、東野氏と私とのミステリ観の違いが現れています。

 『仮面山荘殺人事件』は発表時期は『名探偵の掟』より前ですが、東野氏のミステリ観に忠実に書かれています。具体的には、事件を計画する側に「屋敷を孤立させる」必然性があるということです。これについては解決部分で納得のいく説明が得られます。どちらかというと1つの大トリックを中心に構成された作品ですが、用意周到な構成と、文章の読みやすさによって、物足りなさを微塵も感じさせない佳作です。また、読後の後味の良さもこの作品の魅力でしょう。


『ある閉ざされた雪の山荘で』 (講談社文庫)

 豪雪に覆われ孤立した山荘での殺人劇の舞台稽古のために男女7人がペンションに集まる。ところが、台本さながらに1人、また1人と仲間が消えていく。実際には雪が降っているわけではないのだが、彼らは劇団の主宰者から外部との連絡途絶を命じられているのだ……

 先に紹介した『仮面山荘殺人事件』と似た趣向をもつ作品で、作者はやはり「屋敷を孤立させる理由」について、誰もが納得できる解答を用意してくれています。独立した話なので、この作品だけでも楽しめますが、『仮面山荘殺人事件』読了後に読むと、面白さが1.5倍位にはなるでしょう。

 ところで、私と東野氏の本格観がかなり異なるのは既に述べた通りですが、それでも読んでいると作品世界に引きずり込まれてしまうのは、この作家の筆力の成せる業だと思うのです。


『魔球』 (講談社文庫)

 天才投手の須田武志と優秀な主将兼正捕手の北岡明を擁する開陽高校は、春の選抜高校野球大会に出場を果たすが、1回戦の9回裏2死満塁フルカウントからの須田の不可解な暴投でサヨナラ負けを喫する。その後北岡明は刺殺体で発見されるが、彼のアルバムには

「残念ながら1回戦で敗退 そして魔球を見た」

との書き込みがあった。更に後日、右腕を切断された須田武史の死体も発見され、その傍らにも「マキュウ」の文字が……

 多彩な作風をもつ東野圭吾は、本格ミステリ(上の3作品など)の他、SF的な趣の作品(『秘密』など)や、中にはミステリとは呼べないような作品(『変身』など)もあります。非ミステリ的な作品の人気も高いようですが、私個人としてはミステリが読みたいと思うのです。非ミステリならば純文学系に肌の合う作家(安部公房など)が存在するからです。

 本作は、理詰めで真相に辿りつくようないわゆる“本格”ものではありませんが、謎の提示+伏線+解決がしっかり存在する紛れも無いミステリです。個人的には東野作品では本作のような「しっかりしたミステリだけど本格でない」趣のものが好きで、今のところ個人的には一番好きな作品です(とは言え、未読がまだまだ多いのですが)。

 本作の魅力の1つは人物造形と描写の上手さでしょう。特に、悲運の天才投手須田武志の個性は際立っています。自らの野球の能力への絶対的自信と冷徹なほどの自立心をもつ一方、以上に執念深い側面もある、とにかく特異な個性です。このような性質が生き生きと描かれているのみならず、小説のプロットの中でも重要な役割を果たしています。また、彼を取り巻く人々も皆簡潔かつ明快に描かれています。この作家ならではの筆力でしょう。

 また、上述の北岡のダイイングメッセージ(厳密には違うが)も魅力的。日本語としての響きが良いだけでなく、小説のタイトルでもある「魔球」というものが真相の根底に大きく関わってくるのが良い。

 ミステリとしてのスリルも兼ね備えた、非常に完成されたエンターテインメント作品だと思うのです。

 余談ですが、1988年に刊行されたこの作品を、私は昨年(2001年)に初めて読みました。紛れも無い初読なのですが、ストーリーに何となく既視感を覚えたものです。この作品は過去に映像化されたことがあるのでしょうか。ご存知の方は教えていただければ嬉しく思います。


『悪意』 (講談社文庫)

 人気作家・日高邦彦が自宅で殺害され、第一発見者の一人である被害者の幼なじみ野々口修が逮捕される。この容疑者は動機に関しては黙秘に徹するが、教師時代の後輩でもある加賀恭一郎刑事は、野々口の手記を元に、驚くべき動機を探り当てる…

 1996年に発刊された作品。文庫版の裏表紙には、

「超一流のフー&ホワイダニットによってミステリの本質を深く掘り下げた東野文学の最高峰」

とありますが、果たしてどうでしょうか。 物語の序盤で犯人は逮捕されてしまうので、フーダニットではあり得ないと思います。本作のラストで明かされる動機は極めて印象深いものなので、ホワイダニットを主眼としたミステリと呼び得る(少なくとも世評はそうなっている)と思いますが、個人的にはそう思いません。なぜなら、真相に繋がる手がかりが読者に対して十分に開かれてはいないからです。伏線が弱いということ。つまり、少なくとも本作は謎解きミステリではありません。

 しかし、謎解きミステリであることを放棄したことにより、却って東野氏の個性が強く発揮されていると思うのです。その個性とは、まさに題名通り、人間の持っている悪意をスリリングに、かつ簡潔に描くこと。特に、被害者と加害者にまつわる過去の人間関係が明かされていく中盤〜後半は、人間ドラマとして読み応えがあります。また、ラストの章の直前に挿入された、加賀刑事の教師時代の苦いエピソードは、意外な結末とあいまって、とても大きな効果を上げています。

 本書を初読了した際、「ダメな奴は何をやってもダメ」という言葉を連想しました。冷酷な人間社会の一面を読みやすい文章で描いた本作は、実は東野作品の中では個人的に好きな部類に入るのです。上で少々批判的なことを書いたのは、あくまでも本格ミステリ至上主義者の立場から。サイコミステリとしては十分に傑作だと思います。


『秘密』 (文春文庫)

 私は小説の『秘密』を読むより先に映画の「秘密」(1999年・監督:滝田洋二郎、主演:広末涼子)を観ました。観終わった後、とても衝撃を受け、これは凄い話だ、と興奮しました。それから数日間は「秘密」のことで頭が一杯になり、この映画について誰かと話をしたい、という欲求に駆られる日々を送ったものです。

 ところで、小説を先に読んだ方の中には、映画を物足りなく思う人も少なくないようです。しかし、物語の骨格をなす部分については、映画でも十分に表現できていたと私は思います。物語の骨格とは、一言で言うと「夫婦愛」です。主人公は自動車部品メーカ(映画では食品メーカ)に勤める杉田平介。冒頭、彼の妻・直子と一人娘・藻奈美の2人を乗せたスキーバスが崖から転落し、直子(の肉体)は死亡。一方、意識をとりもどした藻奈美の肉体には、死んだはずの直子の魂が宿ってしまうのです。そんな不可思議な現象を二人だけの「秘密」とし、表向きは親子として振舞いながら、平介と直子は夫婦としての日常生活を送っていきます。娘の肉体を持つ妻を愛していかねばならない夫の葛藤や、若さを手に入れた妻の迷い。そんな登場人物の心の動きが結構リアルに描かれています(精緻な描写でありながらもしつこさを感じさせないのが東野氏の文体の特徴だと思います)。

 小説だけに含まれる要素としては、事故の加害者であるバスの運転手にまつわる謎が挙げられます。事故を起こしてしまった真の理由について、運転手の家庭事情にまで踏み込んで解決していきます。この辺りもそれなりに読み応えはあるのですが、事前に張られた伏線に基づいて真相を究明するような形にはなっていません。すなわち、本作も謎解きミステリとはいえないわけです。

 後半、妻の高校入学以降、物語はスリリングに二転三転し、衝撃のラストシーンへとなだれ込みます。エンターテイメント小説としては、まさに奇蹟的なほどに見事なプロット。これこそが『秘密』の真骨頂でしょう。東野氏の代表作に上げる人が多いのも頷けます。