泡坂妻夫作品リスト(随時追加します)

『亜愛一郎の狼狽』『乱れからくり』『11枚のとらんぷ』


『亜愛一郎の狼狽』 (創元推理文庫)

 泡坂妻夫(1933〜)は、家業が紋章上絵師である一方、奇術師でもあり、ミステリ作家でもあるという多才な人です。『陰桔梗』で直木賞も受賞しています。本作品集『亜愛一郎の狼狽』は、カメラマンの亜愛一郎(あ・あいいちろう)を探偵とするシリーズの第1短編集であり、デビュー作「DL2号機事件」も収録されています。

 シリーズ全般に亘る特徴として、探偵である亜の個性が際立っています。非常に美男子で、ファッションセンスも優れているが、普段の言動を見る限りはユーモラスなほどピントがズレていて臆病。ところが、いざとなると腕っ節が強く、何より抜群の推理力を発揮するという設定。シャーロック・ホームズに比肩し得るほどの強烈なキャラクタだと思います。この探偵のユーモラスな魅力がシリーズ全体をがっちりと支えています。内容とは関係ないですが、この探偵の名前は、将来的に名探偵辞典が出来たときに冒頭に配されるように、という作者の遊び心があるとのこと。

 そして、ミステリ作品としてもよく練られています。一般論として、短編の場合紙数が限られていて、真相に結びつく伏線の配置が技術的に難しく、読者に物足りなさを感じさせることが少なくないのですが、亜愛一郎シリーズに限っては全くそんなことはありません。殊にこの第1短編集は、全作品が(今読み返しても)斬新な発想と緻密な構成で作られていて、駄作は皆無と言ってよいと思います。私の個人的短編集のall time bestはドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』なのですが、『亜愛一郎の狼狽』はそれに次ぐ2位か同率1位です。得がたい傑作です。

 そういう事情で、収録8作品のうち、どれが一番よいか、を決めるのは難しいのですが、強いて、次の3作品を挙げておきます。

「右腕山上空」 
ミステリ的には空中密室がテーマ。また、被害者がコメディアンである事件だけに、登場人物のキャラが楽しめる
「掌上の黄金仮面」 
謎解きの面白さでは集中でも随一か。事件自体興味深いものであり、伏線の張られ方は完璧の一語。
「ホロボの神」 
再読時に最も印象に残ったのはこれ。見事な密室トリックが用いられた会心作。

 もちろん以上の3作品以外も十分に楽しめます。この作品集が十分に楽しめたら、第2、第3作品集『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』へ進むのがよいでしょう。


『乱れからくり』(創元推理文庫)

 玩具会社の社長馬割朋浩は降ってきた隕石に当たって命を落とす。これを皮切りに、馬割家の人々が次々と殺されていく。この謎を解くのは、姉御肌の女性社長にして元刑事の宇内舞子と、新入社員の勝敏夫。

 1978年の日本推理作家協会を受賞した、泡坂妻夫の長編代表作の1つ。それだけに、本格ミステリとしての魅力がふんだんに盛り込まれています。具体的には、まず、連続殺人の様子が不可能興味をかきたてられるようなものであることが挙げられるでしょう。さらに、作者のミスディレクションが非常にうまく、真相を見破ろうとする読者は混迷させられます。あたかも馬割家の庭に作られた巨大迷路のように。この点については本作のみならず、泡坂作品全般に亘る特徴であると言えましょう。奇術師でもある作者の面目躍如でしょうか。加えて、詳しくは述べませんがミステリ史に残るほどにトリッキーな技巧が使われていることもあり、本格ファンには読み応え十分。

 ミステリ部分に直接関係がない特徴も挙げておきます。まず、目次を見れば分かるように、各章にからくり玩具の名前が付けられて、より一層雰囲気を盛り上げています。また、作中、ある2人の男女による愛情シーンは、控えめな表現にも関わらず、エロティックな雰囲気が伝わってきます。実は、これも泡坂長編の特性の一つなのです。

 ともかく、泡坂妻夫を語る上で外せない作品であることは確かでしょう。


『11枚のとらんぷ』(創元推理文庫)

 1976年に出版された、泡坂妻夫の長編第1作です。

 本を開いて目次を一読すると、本作の構成の特異さが判ると思います。

第1部 11の奇術

 この部分では、まず、アマチュア奇術クラブ「マジキクラブ」(本作の主要登場人物)による公演の様子が描かれ、そしてラストで殺人事件の発生が読者に知らされます。登場人物の多い小説ですが、各人物は楽しく書き分けられているので無問題。しかも奇術公演での様々なエピソードの描写は非常に楽しい。もちろん、その間にも事件の真相に繋がる伏線が散りばめられているので油断はならないわけですが。

第2部 「11枚のとらんぷ」

 この第2部の存在こそが、本作の最大の個性でしょう。登場人物の1人である鹿川舜平による短編小説集「11枚のとらんぷ」です。内容は、マジキクラブメンバーが考案した“実用にならない奇術”のトリックを探偵小説風に紹介するというもの。これが、泡坂の長編『11枚のとらんぷ』の中心部に挿入されているわけで、まさに作中作構造です。近年のミステリにおける作中作構造と言えば、叙述トリックのための道具であることが少なくないのですが、本作はそうではありません。この第2部は、ここだけを独立に読んでも非常に面白く読めるのみならず、本編『11枚のとらんぷ』の真相に直結する大いなる伏線となっています。一流マジシャンでもある泡坂氏以外には書き得ない傑作です。

第3部 11番目のトリック

 第3部に至って手がかりが全て揃い、探偵役による事件の解明が行われます。前半部に比べてやや派手さに欠けると感じられますが、解決自体は十分に論理的で納得のいくものになっています。まさに正統派本格。

 1970年代の日本ミステリ界は松本清張をはじめとする社会派ミステリの全盛期。そんな時代に、謎解き本格のジャンルでこれほどの傑作が生まれていたとは、まさにmagicalだと思うのです。