歌手・戸川純(ゲルニカ、ヤプーズ)(主に1980年代)

個性派女優の余技の域には収まらない斬新な歌詞と音楽世界、表現豊かな歌唱。

1961年3月31日 東京生まれ 本名・戸川順子
1980年 TBS系「しあわせ戦争」で女優デビュー
1982年 上野耕路、太田螢一とのユニット、ゲルニカ「改造への躍動」(細野晴臣プロデュース)でデビュー。
1984年 アルバム「玉姫様」でソロデビュー
1987年 ヤプーズを結成。アルバム「ヤプーズ計画」
その後も、ライブ、舞台等で精力的に活躍

夢を語ろう 二人の未来 君はあの夢 僕はこの夢
ラララ 快速 快速 スピイド上げて
ベルを鳴らし ゆこうじゃないか
           (ゲルニカ『銀輪は唄う』より)

 戸川純を「懐古室」でとりあげるのには若干抵抗があります。理由のひとつは、彼女が最も華々しく活躍していた1980年代当時には、私がほとんど関心を持っていなかったこと。ふたつめは、現在でも精力的にライブ等で活躍していて、(最近は余り注目を浴びていないとはいえ)過去の人とは言い切れないこと。それでも、敢えて書いてみます。1980年代に日本のポップス界に遺した数々の作品は、今後も不朽の価値を持ち続けると思うからです。

 1982年、ゲルニカのデビューアルバム「改造への躍動」に収められた『銀輪は唄う』が清涼飲料水のCF曲としてオンエアされました。日本の戦前歌謡曲のような古めかしい歌詞と、上野耕路氏による本格的なサウンドの融合。残念ながら、当時中学2年だった私は、CFに流れる曲に感銘を受けながらも、レコードを買おうという気にはなれなかったのです。

 その後、1984年に『玉姫様』でソロ・デビューした際には、各種の歌番組に出演していました。戸川純自身の手による歌詞は女性の生理を歌ったものだと言われています。

ひと月に一度 座敷牢の奥で玉姫様の発作が起きる
肌の色は五色 黒髪は蛇に
放射するオーラをおさえきれない
中枢神経 子宮に移り
十万馬力の破壊力
レディヒステリック 玉姫様 乱心

細野晴臣による当時の流行最先端のテクノ風の音も魅力的な『玉姫様』はそこそこヒットしたと記憶していますが、このときも私はアルバムを買おうとまで思いませんでした。個性派女優が余興的に歌っているという先入観を持っていたのかも知れません。

 2004年10月現在、普通に入手できる戸川純のCDは残念ながら数少ないのですが、そのうちのひとつ「TWIN VERY BEST COLLECTION」を先日購入して聴きました。シングル化された曲以外に、実は魅力的で質の高い曲が多数あったことを実感しました。ただ、当時の私のようなライトな音楽ファンにはその事実が十分に伝わってこなかったのです。サブカルチャーの担い手の一人、のような見方をされていたはずです。元来、戸川純の歌詞は、不特定多数の聴衆に受け入れられ難い性質を持っています。戦前、戦後期の前衛文学に近い方法論で自らの内面を抉り出すような世界観をもつ歌詞に馴染むには、聞き手の方に相応の資質または努力が要求されます。時々椎名林檎と比較されることがあるようですが、椎名林檎の方は不特定多数に受け入れやすいポップさを持っていて、個人的には全くタイプが違うと感じます。

 ただ、一旦戸川純の世界に入り込んでしまったら、容易に抜け出せないの魅力を持っていることは間違いないでしょう。「TWIN VERY BEST COLLECTION」の収録曲の中ではヤプーズの1stアルバム「ヤプーズ計画」に収録された『バーバラ・セクサロイド』、『ロリータ18号』、『コレクター』辺りが好きです。20代の戸川純自身の内面をストレートに前面に押し出した歌詞の強烈なパンチ力と、ヤプーズのメンバーの作曲能力が見事に融合していると感じました。

 また、戸川純は歌唱力の点でも見事な歌手でした。全盛期における音域の広さや、曲によって声音を見事に使い分ける表現力は特筆モノです。この点はシングル曲を聴くだけではわからないと思います。

 私はほんの数日前に戸川純を聴き始めた初心者なので、とりあえずここまで。今後、可能な限り色々と聴いて、随時文章を追加したいと思います。

道を聞くふりして エーテルをかがせて
トランクに押し込めちゃうわ 私の愛拒んだ罰よ

海沿いに飛ばして 気が付いたら地下室ってわけ
鉄ごうしに足枷はめて 彼を飼うの蝶々のように
          ──「コレクター」(作詞:戸川純)より

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